http://araki-s.hp.infoseek.co.jp/yomikaku_oth_log/kako_log.htm (2010年10月31日に「iswebライト」が終了したためログ消滅)
http://www.araki-shin.com/araki/cgi/yomikaku_oth/
「よみかく分室」より



No.0145 投稿日 2000年11月28日(火)13時35分 投稿者 杉井光
おはようございます。新木さんには、はじめまして。そんでもっておつとめご苦労様です。杉井光と申します。後発ながら、ちょびちょび参加させていただきます。


No.2923 投稿日 2001年10月9日(火)21時11分 投稿者 新木 伸

しかしまあ、偉そうに書いてる杉井光――オマエだって、「クリスチャニア」あたりを書いていたころには、こちらが質問してあげて、ようやく出てきたくちでしょーが。(^^;

プロ三人が車座になったその真ん中で小さくなって、よってたかって理詰めで問いつめられて糾弾されて、それにひとことも答えることもできなくて、それで三十分もして、ようやく「少年が汚されきってしまう話を書きたいんです」と――正座しながら、ぽつりと口にしたとかさ。


No.2963 投稿日 2001年10月11日(木)11時45分 投稿者 新木 伸

そうそう。小説を書くっていうのは、恐ろしいことなんだよ。
人によっては「嬉しい」こととも言うが。
そしてもちろん杉井光にとっては「嬉しいこと」のようだが。

知的レベル品性嗜好思想その他もろもろ、もうみんなバレバレ。ガラス張り。「わかんねーだろ」とタカをくくっているのは、もう本人だけ。

「へー、あんな嗜好があったんだ。にやり」とか、「ああそんな自分に都合のいい展開がお望みなのね。ふうん」とか、もうバレバレ。

みてみてー。ぼくはこんなに杉井光なのです。ほーらみてみてー。


No.2993 投稿日 2001年10月12日(金)13時24分 投稿者 本家

今月の「ザ・スニ」に「でたまか・番外編」として掲載される短編
以前、君にメール送ったとおり「協力・杉井光」と併記されることになりました。


No.3038 投稿日 2001年10月14日(日)22時01分 投稿者 杉井光

>師匠(私信)
いまだに「本家」と「元祖」で混乱する。そのうち「家元」とか「開祖」とか出てきたらどうしよう。そうしたらCLAMPみたいになるのかな?

そうですか、短編掲載決定ですか。むー、複雑な気分。まあ、あれもまったく無駄にはならなかったということでしょうか。でも、「だれこの杉井光って」って訊かれたら、「これは人名ではなくて一般名詞なのです意味は(自主規制)」という具合に説明しておいてください。一般名詞杉井光普及促進委員会。

ありがとうございました。あ、メシですが、年末におそらく分室オフ忘年会でもやると思うので、師匠の都合がついたらぜひにも出席してほしいです。お忙しいでしょうが……。もしそういう幸運に恵まれましたら、なにかおみやげを食わしていただけたら、と。


No.3068 投稿日 2001年10月16日(火)02時58分 投稿者 新木 伸

>杉井光
投稿用の作品などを書く前に、短編蟻地獄を1個2個さくっと仕上げて、経験値積んでからチャレンジしたほうがいいんじゃないか? そのほうが効率いいだろ? どーせ落ちるようなモンいくら書いたって、いまの君には意味があるまい。

あと文体改造をするとかいう話、あれはどうなったのだ?
エヴァレストを見ても風船ガムをみても、ぜんぜん文体が直っとらんわけだ。
ライトノベルじゃ、あの文体は通らんぞ。
文体改造しておかないと、まず落選確実だぞ。

まあ絶対にだめというわけでもないかもしれんが、それにしてもかなりのハンディキャップを抱えていることは違いない。
文体にこだわりがないなら、さくっと改造してしまえ。
しかし文体改造っていうと、もう元に戻らないみたいで、なにか印象が悪いよな。
言葉を換えよう。「新たな文体を身につける」だ。

文体なんて、作品ごとに新規開発したっていいぐらいなものであって、ライトノベルで書くときと、純分的私小説っぽい物を書くときとで、使い分ければいいもの。

新しい文体を身につけたからといって、前の文体が書けなくなるわけじゃない。
昔のと新しいものとで、2つの文体を使いこなせるようになって、より引き出しの数が多くなることになるのだ。
ってことで、文体修得、やれ。

とりあえずなんかテスト用のものでいいから、2〜3枚ほどなにか小説っぽい文章を書いてみそ。指摘してあげるから。


No.3125 投稿日 2001年10月17日(水)23時05分 投稿者 新木 伸
>杉井光
うーむ。さすが杉井光。やはりだいぶ杉井光だなぁ。
やっぱり腹に一物、しまってやがったか。(^^;

「ああ素直に文体改造する気になったのねー」とか、素直に思いこんでいたわし、単なる馬鹿じゃん(笑)。
やっぱり僕はしょせん善人なのか。杉井光みたいな悪党にはなれんのか。

まあ、それはそれとして。
自分の文体? なにが? あれが?

はっはっは。
笑っていいか?

いいかい?
『文体』っていうものはね、言葉を換えるなら、「○○節」とか、そういうシロモノなわけだ。

もう二行か三行、たったそれだけを目にしただけで、何千、何万人いるプロ作家の中で、それが誰の『文体』であるのか、断定してしまえるようなものなわけだ。
いや二、三行っていうのは言い過ぎか。まあ1ページぐらい。

いまの文体で、できるのか? それが?
あんなもん、西鶴君にだって簡単に複写してしまえるぐらいのものじゃないのか? 「破壊者たちの範囲」という西鶴君の作品で、「アルバム・エヴァレスト」とすげぇそっくりな文体を見かけたぞ?

自分の文体。

たかだか2年かそこらで、そんなものが身に付いてたまるか。
寝言は寝て言え。
その2年のあいだに、もし君が原稿用紙1万枚ぐらい書いたというなら、そういうこともあるかもしれない。だが何枚書いたよ? この2年間のあいだに?
数百枚? それとも千枚?
10年やってから、同じことをもう一度言ってこい。

君のカレーは、いま肉とタマネギだけしか入っていないシロモノだ。
そしてそれを「自分の味だ」と言い張っている。

しかしニンジンとジャガイモは、「使わない」のではない。「使えない」のだ。
ニンジンもジャガイモも全部入れたカレーを、あえて「作らない」のじゃない。作りたくても「作れない」んだ。
だからいまの肉とタマネギだけのしょぼいカレーを、「自分の味だ」と言い張りたいんだ。言い張って守り通したいんだ。

「これが自分の味だ」と胸を張っていいのは、全部入れたカレーをちゃんと作ることのできるやつだけだ。

……と、まあ後半のほうは本人もよくわかっているようなのだが、あえて書いた。
前半のほうの「あれが文体などと思うのは、思い上がりも甚だしい」というのは、杉井君にとっては新機軸の発想か? どうか?


No.3143 投稿日 2001年10月19日(金)00時20分 投稿者 杉井光
杉井です。
めずらしく、仕事明けで休日なのに夕方に目を覚まして普通に活動できています。やはり、眠くても無理矢理シャワーを浴びてしまうのがいいみたい。

*新木さん
>やっぱり僕はしょせん善人なのか。杉井光みたいな悪党にはなれんのか。

はあ。後半はその通りですが前半は大嘘ですね。「杉井光みたいな悪党」にはなれないかもしれませんが、僕だって「新木さんみたいな悪党」にはなれません、なかなか。

>前半のほうの「あれが文体などと思うのは、思い上がりも甚だしい」というのは、杉井君にとっては新機軸の発想か? どうか?

僕の動機はこの際どうでもいいのですよ。成長できれば。
ここで「いや、思い上がってなんていませんよ」なんて言っても「当たり前じゃん思い上がりに手足が生えたのが杉井光だぜ」なんて言っても、あまり意味はない。じゃあなぜ書いたのかというと、これもまたみどり勧誘活動の一環なのですね。

*ラーメン屋

さて、そろそろこれについて語らねばならんときが来たようだな。まあ冥土のみやげに聞け。

小学三年生の冬、交通事故に遭って、オレの中に「僕」が住みついた。

小学四年生の頃、オレは兄貴から『魔法使いの丘』という、なにやらとんでもない本の存在を聞かされる。兄貴はその話をした一週間ほど後になって、その『魔法使いの丘』の続編である『城塞都市カーレ』を買ってきた。
衝撃的な出逢いだったと言っていい。

小学五年生の頃、我が家にはじめてのパソコンがやってくる。PC−9801RX21だ。インテルの16ビットCPUを搭載した、当時の最新鋭機種だった。幼いオレと兄貴が当然のように期待したゲームを、しかし親父はちっとも買い与えてくれなかった。そこでオレは、いまや伝説ともなっている(いや、まだ発刊は続いているけど)電波新聞社のマイコンBASICマガジンという雑誌を毎月買い、そこに載っている投稿ゲームをかたっぱしから打ち込み、彼ら制作者の技術を吸収しながらゲームプログラムを学んだ。そして、やがて自分でゲームを作るようになった。

中学二年生の頃、親父の持っていた本をよみあさるうちに物理学や量子力学や宇宙に興味を持った。そして、色んな人が通る道だろうけれど、僕も『宿命論』というものに気づいて激しくショックを受けた。オレはそのころゲーム制作や自分の性欲処理に夢中だった。

中学三年生の春、オレと僕はQUEENに出逢った。

高校一年生の夏、僕はイ短調における主音Aの導音がG#であることを自力で発見した。#も♭もまったく存在しなくていいはずの無垢な五線譜の上で、なぜか臨時記号#を添えられたGの音がまるで当たり前のように存在できることに、深い衝撃を受けた。
オレは、人間の感動がある種のパターン化された手続きで導き出せることを知った。


前置きはこれくらいか。まずは物理学の話だ。
これは確か重力方程式と運動方程式を知ったときに感じたことだ。
つまり、この宇宙にあるたくさんの――いくつあるか知らないが、10の10億乗のそのまた10億乗とか、そういう数だ――粒子どもが、みんな文句も言わず、片時も心ゆるめることなく、物理法則というものに従っているわけだ。
僕はそこで不思議な感動を覚えた。なんて美しいんだろう、と。
オレはそこで感心してしまった。さぞかしボスは怖いやつに違いない、と。
二人に共通していた考えは、自分もそういうことをやってみたい、だった。

さて、ゲーム制作をはじめた僕は、じきにとんでもないことに気づく。
僕が意味をつなげなければ、キーを押してもスプライトが動くなんてことはない。
僕が可動枠を定めなければ、スプライトは画面の外にいくらでも飛び去っていく。
僕がちょっと間違うだけで、この黒い画面の中の世界は徹底的に崩壊してしまう。
そこは一つの宇宙で。
コンピュータは、人間がはじめて手にした神様だった。

やがてオレはコンピュータの限界に愛想をつかした。てゆーかオマエ頭悪すぎだ早く人間に追いつき追い越せ。
僕はもう少し論理的に考えた。つまり今までのゲームが追求してきたことはリアリズムの極致であって、それはなんのためかというと、その世界の中にまじった僕らの夢見る「魔法」を、より魅力的に見せるためであって。何かに「近づく」ための努力は、結局のところ虚しい。

そうして、僕はいま、ラーメン屋を目指してしこしこ文章を書いている。
『言葉』以外に、なにかあいつら(あいつら、だ。エロヒムはエロフの複数形である)に勝てる武器はあるだろうか?


No.3153 投稿日 2001年10月19日(金)17時35分 投稿者 新木 伸

杉井光は、なんとなくどれも全体的にそれなりに持っているんだけど、どれもパッとしない。プロの最低水準に達しているものは、まだひとつもない。でも、どれも一皮ずつ向けることができたら、どれも最低水準にかかるだろうから、十分プロでやっていけるはずだ
この「どれも一皮ずつ剥く」というのが、じつはこれが大変なことなのだけど。


No.3183 投稿日 2001年10月20日(土)20時02分 投稿者 杉井光

>客商売のなんたるかを、まるでわかっていないんだな。

確かに、ここ二年で大きく堕落したように思います。雀荘のメンバーというのは、客を客とも思わない人々ばかりで、僕もそれの一員で。
いえ、うちみたいな場末の汚い雀荘だけですよ。雑誌にカラー広告出しているような人気のある雀荘はそんなこともないでしょうけど。

杉井は、雀荘に流れ着く前は三年間くらいローソンでアルバイトしていたわけですが。週四日五日を三年もやっていれば、いやでも出世するわけです。ローソンの場合は、普通のバイト(クルーと呼びます)からリーダークルー、さらにチーフクルーとレベルアップします。チーフクルーっていうのがね、なんと筆記試験と面接試験まで必要なんですよ昇格するのに。
で、まあ、僕もチーフになったわけですが、そうすると店長業務の60%くらいはやらされるんですね。そこまでいくと、店長が若かったこともあって、僕のところに経営の話を持ち込んで来るんですよ。売り上げあがらねえとか。万引きがへらねえとか。あいつやめさせたほうがいいだろうかとか。
僕もまあ、月に一万(ぽっち)も手当をもらっているわけですから、赤字(そうです赤字店だったんです。本社直営だったので、つぶれはしませんでしたが)をなんとかしようといろいろ考えましたが。僕と店長だけで何ができるわけでもなく。他のバイトの人たちの協力が不可欠なんですね。
そういうことを、夜番仲間に話していたら、こういう言葉が返ってきたのです。
「でも、売り上げがあがったからって、俺らの給料あがるわけじゃないし」
ああ、なるほど……と、思ってしまいました。
いい店員というのは。
仕事の憶えがはやいやつではなく。
対応がてきぱきしているやつでもなく。
「今夜替わってくれ」の電話にいつも諾々と応じてくれるやつでもなく。
店であった悪いことを自分の身に何かあったときのように悲しんで、店がほめられたときにまるで自分がほめられたみたいに喜べる人間なのだと。


杉井へ
No.3403 投稿日 2001年11月4日(日)09時48分 投稿者 榎野英彦 (編者注:鷹見一幸のこと)

書店に並んでいる「ザ・○ニーカー」立ち読みしたか?
名前、載っていただろ。
ほんのちょこっと、すっごく小さな文字で「協力/杉井光」って。

気分はどうだい?

お前のことだからきっと表情も変えずに
「まあ、アイディアの基本設定の部分が俺の『火星に誓いのくちづけを』から来ているんだから、これくらいは当たり前だな。それにこれは俺の作品じゃない」
なんて考えているんじゃないかと思う。

なぜ、あんなにお前の名前の文字が小さかったか。理由がある。
カ○カワの編集さんと、大ケンカになったんだ。
編集さんいわく。
「他人からアイディアをもらう、なんてことはプロの作家さんにはよくあることです、相手の方に了解を得ていれば、名前など載せる必要はありません」
「それは相手がプロ、もしくはそれと同等の『覚悟』を持った人間の場合です」
編集さんの顔色が変わったね。
「え?この杉井さんって方はプロじゃないんですか?」
「ええ、作家志望ですけどね」
「わかりました、まだ間に合いますのでさっそくお名前を載せましょう」

編集さんは納得した。もう一発で(笑)

それだけ日ごろから『実力とプライドが反比例している自意識過剰の作家志望の人間』に悩まされているってことだろうな。

俺がなぜ、お前の名前を載せることにこだわったのか、わかるか?
「モノカキとしての基本的な礼儀だから」
まあ、それもある。でもな、それだけじゃない。

お前はイマジネーションの能力が無い、完全に欠如している。ある種カタワだ(差別用語・文責・榎野英彦)俺のどこが?と思うかもしれん。教えてやろう。
現実社会において自分の位置を想像する想像力だ。
宇宙?未来?少年たちのジーナの店?
そんなもん「妄想」だ。どこにもありゃしない。お前さんは自分の逃げ場所を想像できても、生きているこの世界での自分を想像できないんだ。

想像しろ。
書店で「ザ・ス○ーカー」を立ち読みしたその時に。

俺とお前の名前の大きさと位置が変わっている時の事を!

 
考えろ。

同じ基本的アイディアを使って書かれた物語が、片方は雑誌に掲載され、何万という人が読んでくれて、もう片方はウェブの片隅で朽ち果てていくことの意味を

小説が書きたいのなら人間を見ろ。自分だけを見るな。
お前が見るべき自分は「作家になった自分」のはずだ、そうだろう?

作家になるのに資格はいらない。
「意思」と「能力」と「覚悟」
それだけだ。
こんな「機会の平等」が与えられた職業は他に無い。

何十本とある「でたまか」のプロットの中から、なぜあえてお前のアイディアとかぶるヤツを書いたのかわかるか?

なんでお前の名前を載せることにこだわったのかわかるか?


待ってるぞ、杉井。


No.3423 投稿日 2001年11月6日(火)12時12分 投稿者 榎野英彦
>愛されているんだなあ

誤解を恐れずに言うならばそのとおりかもしれない。
でも。おそらく俺が愛しているのは杉井個人ではなく、杉井の可能性なんだと思うな。

俺は、杉井の書いた物語を読むと、一種独特なノスタルジーに襲われるときがある。
似てるんだわ、俺が20代に書いていたものに
生まれて初めて「稿料」ってのをもらって「自分が書いた文章がお金に代わる瞬間」ってのを体験した頃の自分にね。

こわいものなんか無かった。トミノ監督にだってケンカ売った。(相手にされなかったけどさ)
有名な脚本家の人に向かって「あんたの台本には新しい物が何一つ無い、あんたなんか化石だ」なんて暴言を吐いたことだってある。(その人には未だに顔向けできない)
このあいだ新シリーズ用にプロットいくつか考えたときに。
「そういえば昔書いたもので使い回しできるアイディアなかったかな……」と考えて、古いシナリオのプリントアウトをひっぱりだして読んでみた
いやはや、ひでえもんだ。杉井のことをとやかく言えるものじゃなかったね。

「物語の根幹になりうる斬新なアイディア」(と、自分が考えているだけで、発明にたとえたら「特許」どころか「実用新案」でもあやしい)
「一発で読者を虜にする魅力的なキャラクター」(と、自分が思っているだけで、ぜんぜん描き分けができてない)
「気の利いた言い回しのセリフ」(と、自分が思っているだけで、単なる揚げ足取りの応酬、キャラの描き分けできてないから誰のセリフかわからなくなる)

なによりも「人間」が書けてない。いや「情念」が書けていないと言った方がいいかもしれない。
「読者を感動させる」つまり「読者にカタルシスを与える」ということが、完全に欠落しているんだわ。
ただ手先でこねくりまわしただけの「物語」。
なんで、俺はこんなものを書いて得意になっていたんだろう?と考えて思い当たった。

そのころ、俺は「泣かせ」ということを心底軽蔑していたんだと思う。
日本の伝統的な演芸的な物「松竹新喜劇」や「寅さん」に通じるウェットな部分。観客を泣かせる演出方法とストーリィの展開。
俺はこの手法を、心の底から軽蔑して憎んでいた。それが大衆に受けるために必要だと言うならば、大衆など必要ない。俺はそんな風に考えていた。

要するに「ドラマ」ってのを憎んでいたんだろう。
自分にはあんな「クサ」くて恥ずかしいものは書けないと思い込んでいた。
だからこそ憎んでいたんだと思う。

(中略)

「ドラマ」ってのは「毒」だ。
人が一生懸命武装して着込んだ自意識の鎧の隙間からにじみ出る弱さに直接作用する一種の「毒」と言ってもいいだろう。
この「毒」は物語を作る側にも作用する。おそらくは与える側の数十倍の濃度をもって。
でも、人に何かを伝えようとするならば、人にカタルシスを与えようと思うならば、この「毒」に耐えなきゃいけない。
自分の書いた物語を客観的に見ることのできないレベルにおいては、あんまりこの毒は感じない。でも、自分の物語を客観的に見ることができるようになると、この「毒」はてきめんに効いてくる。
もう、床をのたうちまわりたくなるくらいにね(笑)

「ドラマ」ってのは「パターン」と同一語だ。もう手垢まみれで字が読めなくなった台本みたいなもので、あっちこっちが擦り切れてる。
でも、それを見た人は感動し、カタルシスの涙を流す。
なぜなんだろう?聞き飽きた、読み飽きた、もう過去に置いて何百何千何万回と繰り返し繰り返し書かれたストーリィとシチュエーションなのに。
それはやっぱり「人間という物の基本的なもの」だからだと思うんだ。

「今まで誰も書かなかったもの」

それはエッセンスでいい。
堂々たるドラマにふり掛けるエッセンスでいいんだ。
まず、ドラマを書けるようになって欲しい。

杉井には時間がある。
本人はそのゼイタクさに気がついていないようだがね。
杉井には(そこそこの)アイディアもある
本人は、気がついているみたいだけどね。

でも、杉井の書く物語は、いわばひっくりかえったおもちゃ箱みたいなもので、遊び方がわからないおもちゃを、ただ広げているだけのように見えるんだ。
あのおもちゃで、あんな遊びをすれば面白いだろうなあ……と思うのは俺だけで、本人はまったく見当違いのところで遊んでいるように見えるんだ。

何かが足りない。
何かが合わない。

その何かがわかれば、杉井はいいところまで行くだろう。と俺は思っている
新木さんとは評価が違うかもしれないけどね。


No.3456 投稿日 2001年11月7日(水)20時44分 投稿者 新木 伸


ちゃんとできてんじゃん。
それが一人称だよ。

おまけにおもしろい。ちゃんと読める物になっている。空を見て感動するくだりなど、「コロニーで生まれ育った人間」というものを描写する、いいエピソードになってるわけだし。

杉井光はあれだな。
しばらくキャラ立てして一人称で話を書くべきだな


No.4195 投稿日 2002年4月8日(月)07時24分 投稿者 新木 伸

また充分な製作期間(一冊につき数か月ほど。他に仕事をせず執筆のみに専念して)を取らなければ、数万人に読ませることのできるクオリティで作品を仕上げることもできないと判断しました。(このへんは工夫と努力と気合い次第でなんとでもなるところですが)

んな、たとえば杉井光ごときが、毎回賞に応募しては落選してる程度の作品を、(総合評価で)上回る程度のクオリティ――そんなものでいいのなら、ちょちょいのぱーで、まあ5日かそこらあれば仕上げられるでしょう。そのことは観測された「事実」として、僕は知っています。

でもそんな、感性がたまたまうまく噛み合った数人か数十人ぐらいの人間が、「面白かったです!」と絶賛してくれる程度のものじゃ、僕は我慢ならないわけです。
すくなくとも数万人が600円の価値を見いだし、そしてそのうちの何割かが「とても面白かった」と感じてくれて、リピーターとして、次もその次も「絶対買う」と決定するようなものでなければならない。これはもう「絶対に」いかんわけです。


No.4282 投稿日 2002年4月18日(木)10時35分 投稿者 新木 伸

どこかの杉井光のように、300年後のSF世界の話の中で、なにも考えず堂々と「小学校」なんて使ったりはしないぞ。


No.4297 投稿日 2002年4月20日(土)15時47分 投稿者 新木 伸

杉井光の「ラストハロウィン」は、あれ結局一度も教えてもらってないのだけど、何次まであるうちの、何次まで行ったのよ? あとどこに送ったのよ?


No.4419 投稿日 2002年5月8日(水)05時55分 投稿者 新木 伸

>自分は特別であるという願望

それとも……。
そもそも問題が、違うのかね?

単なる我が子可愛さ――ってことでもなくって、本当に、「自分&自分の作品は特別」なんていう選民思考にでも、凝り固まっているのかね?

自分の考え出したことには、もちろん他よりも価値がある。
自分の書こうというテーマには、もちろん価値がある。
自分のこの表現はイカしている。なんてスタイリッシュなんだろう。

もちろん自分は特別であるわけだ。
だから誤字なんて出さない。日本語を覚え間違っているなんてこともない。
当然当然。あたりまえ。

ざっと見たところ――この病気に感染しているっぽいのは、ここじゃ、いか君と杉井光の2名かな?
両名とも、自分の思いついたアイデアを検証しないことに関しては、他者の追従を許さない独走状態だしなぁ。


No.4611 投稿日 2002年6月14日(金)17時42分 投稿者 新木 伸

そうしてみると、巻島や望月や杉井あたりが、書き上げたそのままで、速攻、小説賞に送りつけている現状を見て、「そもそも無駄」って思えることが、理解できると思うのだが。


No.4617 投稿日 2002年6月15日(土)18時08分 投稿者 新木 伸

>杉井光の件

あれについては、わしもわからん。
なにを考えているのか、さっぱりわからん。

4月に電撃大賞に送って、その結果もまだ出てないうちから、6月には「文學界」のほうに送るのだそうだ。


No.4646 投稿日 2002年6月18日(火)08時21分 投稿者 新木 伸

今現在の杉井光は、エンターテイメント小説の文体にまったく不自由な人であるわけだ。キャラとアイデアはそこそこある人。



No.4674 投稿日 2002年6月21日(金)23時45分 投稿者 新木 伸

>自己陶酔的文章

ひとつの見分け方があります。
他の人に朗読されて、身悶えするぐらい恥ずかしいのが、「自己陶酔的な文章」です。

ただ「極度に恥ずかしがり屋の人」と、「真のナルシスト」には、この方法は使えないかもしれません。(杉井光には通用しませんでした。これは後者のほう)


No.4928 投稿日 2002年7月20日(土)03時45分 投稿者 杉井光

杉井です。新しくいらっしゃって最近のログを読んで「杉井ってだれ?」とか思っているみなさん、はじめまして。僕が杉井光です。オフ会の会場を毎回提供している者です。

んで、学生さんも多いようなので、学生中心オフでしたら新木さんの言うとおり土日にこだわる必要はないわけで。平日なら月火も可能ですし、シフト変更もわりと融通がきくので、なんにしろ決定はなるべく早くお願いします。

……二回に分けるですか。いいアイディアかもしれんです。なにせ杉井邸は押しも押されもしない六畳間なので(笑)。最高記録は11人だったかな? 東横線も真っ青ですね。


No.5979 投稿日 2003年1月23日(木)06時57分 投稿者 新木 伸

で、僕はなんか機会があるごとに、「いっぺん文章を書いて金をもらってみろ」と薦めているわけですが……。
このあいだ杉井光のやつは逃げやがりました。RPG(コンシューマーゲーム)の部分シナリオの仕事を回してやろうと思ったのに。
企画立案原案、他人任せ、保護者付きの仕事で、いざというときの尻ぬぐい(僕が交代)まで付いてくる仕事の、いったいどこが不満なのでしょうか。


No.6219 投稿日 2003年2月21日(金)22時58分 投稿者 新木 伸

皆が、不要な文章が灰色に見えていないということを初めて知った。皆に「必要な文章」と「不要な文章」との見分けが付いていないということ。杉井光の家に行って、目の前で削りの実演をしてやったときに、初めて知った


No.6341 投稿日 2003年3月13日(木)13時08分 投稿者 新木 伸

ていうか、これもこれで、かなり大きな読み捨てNGポイントではあるけどね。「読者のほうを向いて書かれていない小説」という種類ね。
杉井光の書く小説が、だいたい全部、こんな感じだな


No.6348 投稿日 2003年3月14日(金)14時19分 投稿者 新木 伸

>>「停滞した業界は滅びる」

これは業界について言えるだけでなく、作家個人についても言えますね。
立ち止まった人間は、そこで終わるわけです。

それが作家志望者であっても、プロ作家であっても、同じこと。
立ち止まった時点で進歩は終わり、停滞がはじまります。そしてしばらくすると例外なく終わりがきます。
常に前に向かって歩いていないと。立ち止まらず、倒れるときにも必ず前のめりで。
鷹見さんは大丈夫ですか?


No.6616 投稿日 2003年6月24日(火)15時43分 投稿者 新木 伸

杉井光は、このようなものを、このようにしか書けないのか。
肉塊を「肉塊」としか書けないのか。屍体を「屍体」としか書けないか。成長途上の胸を「成長途上の胸」としか書けないか。胸が締めあげられる様を、「締めあげられる」としか書けないのか。

それとも必要に応じて、詳細度を自在に変えて書くこともできるのか。
つまり、描写しようと思えば描写することもできるのか。
判断つかんので、やってみてくれ。

ちなみに、これ以上詳細にイメージすることができないのなら、どうにもならん。作家向きじゃなかったということ。
しかし脳内イメージに文章表現が追いついていないだけなら、まだ直しようもある。ボキャブラリーの貧困と執念の不足が原因というだけだから。


No.6939 投稿日 2003年8月29日(金)02時46分 投稿者 巻島翔史

『(仮)』という、杉井光・西鶴翠・望月京路三氏の共同管理投稿サイトに送りました。
『(仮)』は藤極堂さんが言っているように、よみかく分室の周辺部の人間が立ち上げた投稿サイトです。
(中略)
というのも、『(仮)』は分室周辺部から派生したサイトではありますが、分室とのパイプを絶とうとしたサイトなのです。サイト管理者は準備段階から、分室の主である新木さんの入場を拒んでいました


No.7172 投稿日 2003年10月13日(月)04時01分 投稿者 新木 伸

転んで足を捻挫したときに、こんなふうな感慨をいちいち覚えているやつがいたら、気持ち悪いだろ。変人だな。この登場人物が杉井光であり、その一人称だというのならわからないでもないが。

「俺」とあって、主観で書いているはずにもかかわらず、使われている言葉が客観語ばかりなんだな。

キャラの中に入るのが苦手であるなら、三人称でやってみたらどうだ?
一人称を書けなくても小説は書ける。プロにだって、一人称を書けない作家なんて、ごろごろいるわけだし。


No.7261 投稿日 2003年11月10日(月)00時25分 投稿者 望乃英司
>新木さん

一応、ダメ大人として敬語を使います。
言っておきますが、新木さんは僕のことを子ども扱いするけど、貴方だって十分に「ダメ大人」ですよ。
ただ仕事と家庭を持てて、犯罪を犯さず、社会からはみ出ないようにしているだけ。
人格だけ見れば、ダメ人間です。
杉井さんに言われた、図星の言葉の数々を思い出しなさい。
数多くの人間が貴方から離れた経験をかんがみればそれは分かるでしょう?

ここでは貴方が王様です。貴方がルールです。それは認めましょう。ダメ大人が、仲間内だけで砂場遊びを真剣にやっていることを邪魔する気はありません。
単に僕は、貴方が嫌いだから、貴方を傷つける、迷惑がらせるためなら何をしようが構わないという「ダメ大人」です。
「ダメ大人」には「ダメ大人」の対応しか出来ないのが、自分という人間です。
ともあれ、その責任から逃れられると思うほどバカでもありません。他にかけた迷惑は、きちんと取りましょう。
その後、もし事が収まったら、巻島さんと2号さん(一応お世話になったお二人)の作品の感想、指摘を書くのにここを使わせてもらうかもしれません。あくまで、指摘者の立場で。


No.7614 投稿日 2004年2月16日(月)19時16分 投稿者 新木 伸

道場主が直接相手をするのではなくて、筆頭塾生に任せるという形でしょうか。
ちょっと頼りないんだけど、うちの現役の筆頭。名無しだし。
昔は杉井光とか西鶴翠とか、色々と、いたんですけど


No.7681 投稿日 2004年3月1日(月)14時42分 投稿者 新木 伸

杉井光というやつがいたのだが。長いこと我流でやっていたせいで、変な癖が骨の髄まで染みこんでしまっていた。なにをどう言っても改行の使いかたを覚えなかった。いまだに「だいぶ長くなってきたから、そろそろなんかこのへんに改行をひとつ適当に入れておこう」とかいう、アホ極まりないやりかたで改行を入れて段落を作っている。(なあ、アホだろ?)
一時期は矯正してやろうとしたんだがなぁ。
完全具体文と完全説明文の使いこなしもできなくて、説明文ばかり書いていた。段落というものをついに覚えられなかったのは、それが原因なのかなぁ。


No.8149 投稿日 2004年6月4日(金)06時51分 投稿者 新木 伸

本人が大マジメに書いてる小説はクソつまらなくて、不真面目に書いてる掲示板の書きこみのほうが超面白いのは、なぜだろう。杉井光もそんなやつだったんだよな。もう小説は書いとらんようだが。(遠い目)


No.8189 投稿日 2004年6月17日(木)13時10分 投稿者 新木 伸

おまえ、俺よりは詳しいんじゃないのか?
まえ杉井光にも同じ質問をしたのだが(あいつは幼少期からみっちりとやっていたらしい)。しかしあいつは結局、音楽の方面で習得しているはずのリズム感を、文体に応用しないまま終わっちゃっていたなぁ。なんで応用できないんだろう。


No.8210 投稿日 2004年6月26日(土)06時54分 投稿者 新木 伸

人間があるひとつの物事に興味を持続させられる期間というのは、どうも3年が限度らしい。
その期間中になにか劇的な変化が起きない限りは、興味が失速して他に移ってしまうもよう。杉井しかり、巻島しかり。

2号は小説書き始めて、これで何ヶ月だっけ? そろそろ1年?
深く重くを完結させて、投稿用にでっちあげるって話はどうなったのだ?
電撃狙うなら、あとせいぜい2回ぐらいしかチャンスがないってことになるぞ。
そこまでで、たぶんお前は「飽きて」しまう。
俺の経験からいって、80%ぐらいの確率で確かな未来だ。


No.8793 投稿日 2004年12月10日(金)14時24分 投稿者 新木 伸

人間は体験していないことはわからない。神様がそうお作りになった。――と、これは俺ではなくて杉井光の弁だが


No.11227 投稿日 2006年11月2日(木)03時07分 投稿者 新木 伸

写本以外の方法で、もうひとつの方法を紹介します。
これは杉井光という方に、以前指導した方法なのですが。(過去ログ掘り返せば出てきます)

文章の改行の割合というのは、0%から100%の範囲のいずれかです。
つまり、改行をまったく入れずに文章を書くか、その逆に、すべての「。」で改行を入れて文章を書くか。
この二つが両極端であるとして、そこから練習してゆくわけです。


   ☆   ☆   ☆   ☆


プロ作家である新木伸と鷹見一幸がデビュー前の杉井光(2005年受賞、2006年デビュー)をどう捉えていたかを示すログである。
(ログの量が膨大だったので、恣意的かつ興味深いところを重点的に抜き出した)


鷹見が杉井を非常に買っていたことが窺われる。
新木と杉井の師弟愛の変遷も面白い。

出会い
→呼びかけ方が、「杉井君」から「杉井」と呼び捨てへ
→師匠として厳しく接する、弟子として三歩下がる
→オフ会で杉井宅へ、関係を育む
→蜜月時代を経て……
→芽生える師匠への疑心
→弟子の疑心に気付かない師匠。距離を取ろうとする弟子
→師弟関係の決裂
→弟子の離反。弟子の心境変化と己の没落に思い至らない師匠
→去った弟子に対する未練と拮抗するプライド
→弟子のプロデビュー
→やっと蜜月時代が終わったことを知る師匠

これだけで小説になりそう(笑)


2010年現在、杉井光の活躍には目覚しいものがある。
一方の新木伸の活動には目を覆いたくなるものがある。
鷹見一幸のまったく変わらない活動がある。


なにより恐ろしいのは10年前のこんな経緯がネット上にいまだに残っていることだろう。


(おまけ)
祈りの歌
http://homepage2.nifty.com/saikaku/second/works/inorinouta.html
ムジカへの手紙
http://homepage2.nifty.com/saikaku/second/works/mujikahenotegami.html
アルバム・エヴェレスト
http://homepage2.nifty.com/saikaku/second/works/arubamueberesuto.html



(おまけのおまけ)
橋本版ばけらの
http://togetter.com/li/54836
の橋本紡(1967 生まれ)と新木伸(1968 生まれ)って同年代で
「自負と自虐を繰り返す」やら、発言のブーメランっぷりがすごく似てるんだよね……


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